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カテゴリ: 人物
評価: 良い
坂本龍馬
さかもとりょうま
坂本龍馬
生没 1836年-1867年
性別 男性
出生地 土佐国(高知県)
尊皇攘夷、倒幕
補足・その他 亀山社中 (海援隊) 結成
説明・解説 土佐藩(高知県)郷士として生まれ、幕末の討幕運動で活躍した志士の一人。貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中 (後:海援隊) を結成するなど、剣術家・政治家・実業家としても活躍。日本中を駆け巡り薩長同盟の締結や大政奉還など大きな功績を残した。現在でも幕末の風雲児として国民的人気を得ている。
キーワード 志士 , 幕末 , 武士 , 土佐藩 , 明治維新 , 高知県
時代 西暦(年号) 日付 出来事 参考(写真) 編集
江戸 1835年
(天保6年)
11月15日 土佐藩郷士・坂本長兵衛(後:坂本八平直足)の次男として高知城下本丁筋1丁目(現:高知県高知市上町)に生まれる。 編集
1846年
(弘化3年)
小高坂村・楠山塾に入門して、習字と四書を習うがわずかな期間で退塾。 編集
06月 母・幸が病気により死去。 編集
1848年
(弘化5年)
日根野弁治の道場へ入門し小栗流和兵法を学ぶ。 5年の修業を経て「小栗流和兵法事目録」を得る。 編集
1853年
(嘉永6年)
04月 剣術修行をするため江戸の千葉定吉道場 (小千葉道場) に入門。 編集
06月 臨時御用として品川藩邸警衛にあたる。 黒船来航(6月3日)将軍・徳川家慶死去(6月22日) 編集
12月 佐久間象山の私塾に入門する。※「佐久間象山砲術門人帖」記載 編集
1854年
(嘉永7年)
画家・河田小龍から西洋事情を学ぶ。 編集
06月23日 土佐に帰る。 日米和親条約締結(3月3日) 編集
1855年
(安政2年)
12月04日 父・八平が死去。 編集
1856年
(安政3年)
09月 小千葉道場で剣術修行のため、再び江戸へ。 編集
1857年
(安政4年)
08月04日 盗みを働いて切腹沙汰となった仲間の山本琢磨を逃がしてやる。 編集
1858年
(安政5年)
01月 千葉定吉より「北辰一刀流長刀兵法目録」伝授される。 編集
09月 剣術修行を終えて土佐へ帰る。 編集
1861年
(文久元年)
08月 武市半平太(武市瑞山)が結成した土佐勤王党に血盟。 土佐勤王党は幕末の土佐藩内で尊王攘夷を掲げて結成された結社。 編集
10月 武市の密使として長州へ向かう。 編集
1862年
(文久2年)
01月 萩で久坂玄瑞と面談。 編集
03月24日 沢村惣之丞と共に脱藩する。 編集
04月23日 寺田屋事件が起こる。 編集
08月 九州や京を放浪した後、江戸の千葉道場に身を寄せる。 編集
12月 勝海舟に面会して弟子となる。 編集
12月05日 幕府政事総裁職の松平春嶽に面会する。 編集
1863年
(文久3年)
02月25日 土佐藩・脱藩の罪を許される。 編集
04月23日 将軍・家茂が神戸海軍操練所と神戸海軍塾の設立を許可。 編集
05月 北陸・越前に出向、松平春獄から千両を借り受ける。 編集
10月 神戸海軍塾の塾頭となる。 編集
1864年
(文久4年)
02月 帰国命令を無視して再び土佐藩を脱藩。 編集
1864年
(元治元年)
05月14日 神戸海軍操練所を創設する。 編集
06月17日 尊攘過激派浪士を蝦夷地へ移住させ、開拓・資源を使い貿易をする開拓構想を勝海舟に説く。 編集
1865年
(元治2年)
03月18日 神戸海軍操練所が廃止。 編集
1865年
(慶応元年)
05月 薩摩藩の援助により、長崎で亀山社中を結成。 武市半平太が切腹する。 編集
05月21日 中岡慎太郎、土方久元と共に長州藩・桂小五郎と薩摩藩・西郷隆盛が下関で会談することを斡旋するが失敗に終わる。 編集
08月 長崎のグラバー商会からの薩摩藩名義での銃器弾薬購入を長州藩に斡旋。 編集
09月 大久保一蔵の書簡を長州藩重役に届ける。 編集
1866年
(慶応2年)
01月22日 龍馬の斡旋により、京都の小松帯刀邸にて長州の桂小五郎(木戸孝允)と薩摩の西郷隆盛、小松らが会談し、薩長同盟 (薩長盟約) が結ばれる。 編集
01月23日 京都伏見・寺田屋で幕吏に襲撃され、龍馬は左手の指を負傷する。 編集
02月05日 長州藩・桂小五郎に求められて、盟約書の裏書を行う。 編集
03月 寺田屋で負った刀傷の治療のため、妻・お龍と共に鹿児島を旅行する(3月〜4月)。 編集
06月 第二次長州征伐で亀山社中の船ユニオン号で長州藩を支援する。 第二次長州征伐(6月〜9月) 編集
1867年
(慶応3年)
01月13日 土佐藩参政・後藤象二郎と会談する。 編集
04月 亀山社中を土佐藩の外郭組織と定め「海援隊」と改称する。 編集
04月23日 海援隊運用船「いろは丸」が紀州藩船と衝突して沈没。※沈没地点:備中国笠岡諸島(現在:岡山県笠岡市)の六島付近 編集
05月 運用船「いろは丸」の衝突による損害を御三家紀州藩側を賠償させる。紀州藩が支払った額は8万3526両198文。 編集
06月09日 後藤象二郎と共に船中八策を策定する。 編集
06月22日 薩土盟約が成立。 編集
10月16日 戸田雅楽(とだ うた/尾崎三良)と「新官制擬定書」を策定。 編集
11月 「新政府綱領八策」を起草。 編集
11月15日 近江屋事件・発生。京都の近江屋で中岡慎太郎と共に刺客に襲撃され暗殺される。享年33歳。 編集
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