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カテゴリ: 人物
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徳川吉宗
とくがわよしむね
徳川吉宗
生没 1684年11月27日-1751年7月12日
性別 男性
出生地 紀伊国(和歌山県と三重県南部)
幼名:源六
補足・その他 渾名:米将軍、八十八将軍
説明・解説 江戸幕府第8代将軍。徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれ、将軍就任以前は越前国葛野藩主、紀州藩第5代藩主を務めていたが、6代将軍家宣の正室・天英院の指名により御三家出身では初の養子として、徳川将軍となる。幕府権力の再興に務め、増税と質素倹約による幕政改革、新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、市民の意見を取り入れるための目安箱の設置などの享保の改革を実行した。
キーワード 将軍 , 江戸幕府 , 武士 , 徳川家 , 徳川将軍
時代 西暦(年号) 日付 出来事 参考(写真) 編集
江戸 1696年
(元禄9年)
12月18日 従四位下に叙し、右近衛権少将兼主税頭に任官。松平頼久と名乗る。続いて、頼方と改める。 編集
1697年
(元禄10年)
04月11日 越前葛野藩3万石藩主襲封(後に1万石加増)。 編集
1705年
(宝永2年)
10月06日 紀州徳川家5代藩主に就任する。 編集
10月06日 従三位左近衛権中将に昇叙転任。将軍綱吉の偏諱を賜り「吉宗」と改名。 編集
1706年
(宝永3年)
11月26日 参議に補任。 編集
1707年
(宝永4年)
12月18日 権中納言に転任。 編集
1716年
(正徳6年)
吉宗の主導により、享保の改革を始める。 編集
04月30日 将軍後見役に就任。 編集
1716年
(享保元年)
08月13日 江戸幕府・徳川8代将軍になる。征夷大将軍・源氏長者宣下。正二位内大臣兼右近衛大将に昇叙転任。 編集
1717年
(享保2年)
新金銀交換を強制。(享保の改革) 編集
08月02日 享保小判金を発行。(享保の改革) 編集
1719年
(享保4年)
相対済令。※11年後に廃止となる 編集
1720年
(享保5年)
江戸大火を受け、江戸町火消しいろは四十八組(翌年:深川に十六組)を設置。(享保の改革) 編集
1721年
(享保6年)
目安箱を設置。(享保の改革) 編集
1722年
(享保7年)
足高の制を導入。(享保の改革) 編集
小石川養生所を設置。(享保の改革) 小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)とは、江戸時代に幕府が江戸に設置した無料の医療施設。 編集
上米の制。(享保の改革)※9年後に廃止される 編集
定免法を導入。(享保の改革) 編集
江戸の六上水のうち本所上水、青山上水、三田上水、千川上水を廃止。(享保の改革) 編集
1728年
(享保13年)
「五公五民制」を導入(幕府創設以来の「四公六民制」の放棄)。(享保の改革) 編集
1730年
(享保15年)
諸大名に対して買米令を出す(翌年:大坂商人達にも同様の命令を出す)。(享保の改革) 編集
1736年
(享保21年)
再度の改鋳(元文改鋳、享保の改鋳政策の放棄)。(享保の改革) 編集
1742年
(寛保2年)
公事方御定書を制定。(享保の改革) 編集
08月07日 右大臣に転任。 編集
1744年
(寛保4年)
神田に天文台を設置。(享保の改革) 編集
1745年
(延享2年)
09月25日 征夷大将軍を辞職する。 編集
1751年
(寛延4年)
06月20日 死去。 編集
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