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カテゴリ: 人物
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勝海舟
かつ かいしゅう
勝海舟
生没 1823年3月12日-1899年1月21日
性別 男性
出生地 江戸本所亀沢町(現:東京都墨田区両国)
改名:麟太郎(幼名)、義邦、安芳
補足・その他 父:勝小吉、母:勝信子
説明・解説 江戸時代末期の武士(幕臣)、明治初期の政治家。山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。
キーワード 幕末 , 武士 , 幕臣 , 明治維新 , 江戸幕府
時代 西暦(年号) 日付 出来事 参考(写真) 編集
江戸 1823年
(文政6年)
03月12日 江戸本所亀沢町(現:東京都墨田区両国)にある父・小吉の実家 男谷家で生まれる。 編集
1838年
(天保9年)
07月27日 家督相続し、小普請組に入り、40俵扶持。 編集
1855年
(安政2年)
01月18日 異国応接掛附蘭書翻訳御用となる。 編集
07月29日 海軍伝習重立取扱となる。 編集
08月07日 小普請組から小十人組に組替。 編集
1856年
(安政3年)
03月11日 講武所砲術師範役となる。 編集
06月30日 小十人組から大番に替わる。 編集
1859年
(安政6年)
05月 伊予松山藩が武蔵国神奈川(現在の横浜市神奈川区)に築造した砲台を設計する。 編集
05月11日 アメリカ派遣を命ぜられる。 編集
1860年
(安政7年)
01月13日 品川から咸臨丸出航。 編集
02月26日 サンフランシスコに入航。 編集
03月08日 サンフランシスコを出航。 編集
05月07日 江戸に帰府。 編集
06月24日 天守番頭過人・蕃書調所頭取助となる。石高400石取りとなる。 編集
1861年
(文久元年)
09月05日 天守番頭格・講武所砲術師範役に異動。 編集
1862年
(文久2年)
07月04日 二の丸留守居格軍艦操練所頭取に異動。 編集
08月17日 軍艦奉行並に異動。役高1,000石。 編集
1864年
(文久3年)
02月05日 摂海警衛及び神戸操練所運営を委任される。 編集
11月10日 軍艦奉行を罷免され、寄合席となる。 編集
1866年
(慶応2年)
05月28日 町奉行次席軍艦奉行に復職。 編集
1867年
(慶応3年)
03月05日 海軍伝習掛を兼帯。 編集
1868年
(慶応4年)
01月17日 海軍奉行並に異動。役高5,000石。列座は陸軍奉行並の上。 編集
01月23日 陸軍総裁に異動。列座は若年寄の次座。 編集
02月25日 陸軍総裁を免じ、軍事取扱に異動。 編集
05月03日 江戸城無血開城。薩摩藩江戸藩邸にて西郷隆盛と会見。 編集
07月18日 維新政府の外務大丞に任官。 編集
08月13日 外務大丞を辞す。 編集
11月23日 兵部大丞に任官。 編集
明治 1869年
(明治2年)
07月13日 諱を安芳と改める。 編集
1870年
(明治3年)
06月12日 兵部大丞を辞す。 編集
1872年
(明治5年)
05月10日 海軍大輔に任官。 編集
06月15日 従四位に昇叙し、海軍大輔如元。 編集
1873年
(明治6年)
10月25日 参議に転任し、海軍卿を兼任。 編集
1874年
(明治7年)
02月18日 正四位に昇叙し、参議・海軍卿如元。 編集
1875年
(明治8年)
04月25日 元老院議官に異動。 編集
04月27日 元老院議官を辞表を提出。 編集
11月28日 元老院議官を辞す。 編集
1887年
(明治20年)
05月09日 伯爵を受爵。 編集
12月 従三位に昇叙。 編集
1888年
(明治21年)
04月30日 枢密顧問官に任官。 編集
10月 正三位に昇叙し、枢密顧問官如元。 編集
1889年
(明治22年)
05月08日 枢密顧問官辞表を提出するが、翌日却下。 編集
12月 勲一等瑞宝章を受ける。 編集
1890年
(明治23年)
07月10日 貴族院議員に当選するものの辞退。 編集
1894年
(明治27年)
06月30日 従二位に昇叙し、枢密顧問官如元。 編集
1896年
(明治29年)
10月27日 枢密顧問官辞表を提出する。 編集
11月04日 枢密顧問官辞表が却下。 編集
1898年
(明治31年)
02月26日 勲一等旭日大綬章を受ける。 編集
1899年
(明治32年)
01月19日 死去。 編集
01月20日 贈正二位。法名:大観院殿海舟日安大居士。 編集
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