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カテゴリ: 人物
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長宗我部元親
ちょうそかべ もとちか
長宗我部元親
生没 1539年-1599年7月11日
性別 男性
出生地 岡豊城内(高知県南国市)
弥三郎(幼名)、元親、雪蹊恕三(法名)
補足・その他 父:長宗我部国親、母:斎藤氏の娘(号祥鳳)
説明・解説 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。土佐国の戦国大名。土佐の国人から戦国大名に成長し、阿波・讃岐の三好氏、伊予国の西園寺氏・河野氏らと戦い四国の覇者となる。
キーワード 武将 , 戦国大名 , 戦国時代 , 土佐 , 四国
時代 西暦(年号) 日付 出来事 参考(写真) 編集
室町 1539年
(天文8年)
岡豊城内(高知県南国市)で生まれる。 編集
1560年
(永禄3年)
05月28日 長浜の戦い。本戦である戸ノ本での戦いで初陣を飾る。 編集
1563年
(永禄6年)
美濃国の斎藤利三の娘と結婚。 編集
安土桃山 1574年
(天正2年)
02月 一条家の内紛に介入して、土佐国中村の一条兼定を豊後国へ追放。 編集
1575年
(天正3年)
07月 四万十川の戦い(しまんとがわのたたかい/別名:渡川の戦い)。再起を図って挙兵した一条兼定に勝利。元親は土佐国(高知県)を平定する。 編集
1581年から
(天正9年)
織田政権の四国進出(淡路・阿波・讃岐)。織田信孝、丹羽長秀らが軍14,000を率いて、四国攻めを目論む。 編集
1582年
(天正10年)
中富川の戦い。勝瑞城を本陣とする十河存保(織田信長側)との戦いで、攻防戦は約20日間行われた。結果、元親は十河存保に勝利して、阿波国を配下にする。 編集
07月01日 本能寺の変が起こる。織田信長の死により、織田政権の四国進出を断念。 本能寺の変(ほんのうじのへん)が起こる。 編集
1583年
(天正11年)
04月 引田の戦いが起こる。讃岐国大内郡(現:香川県東かがわ市)の引田城附近で行われた長宗我部氏と羽柴秀吉の命により派遣された仙石秀久らとの戦い。十河存保の援軍もあり、仙石秀久に勝利。 編集
1585年
(天正13年)
伊予国攻略。四国全土をほぼ支配下にする。 編集
05月04日 四国攻め(阿波・讃岐・伊予)。羽柴秀吉、11万前後の軍勢を四国へ送る。 編集
07月25日 秀吉の軍勢11万による四国攻めに抵抗するが降伏。四国全土から土佐国一国となる。 編集
1587年
(天正15年)
秀吉の九州攻めに嫡子・信親と従軍。戸次川の戦いで最愛の信親が戦死する。 編集
1588年
(天正16年)
04月 秀吉が聚楽第で宴会を開いた時、秀吉に「今から四国の覇者を望むか。それとも天下に心を賭けたるか」と質問されると元親は「天下に心を賭け候」と答える。 編集
1590年
(天正18年)
秀吉の小田原城攻めに水軍を率いて従軍する。 編集
1592年
(天正20年)
04月から 朝鮮への侵攻(文禄の役)に参陣。 編集
1597年
(慶長2年)
01月から 朝鮮への侵攻(慶長の役)に参陣。 編集
05月10日頃 領国統治のための法典「長宗我部元親百箇条(ちょうそかべもとちかひゃっかじょう)」という分国法を制定発布。 編集
1599年
(慶長4年)
05月10日 死期を悟った元親は後継者の盛親に遺言を残す。 編集
05月19日 死去(享年61歳)。 編集
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